3月11日


幸か不幸か…


地震発生時、私は東京の本社にいました。
全国の拠点のメンバーが勢揃いし、研修を行っていたのです。


そこへ突然の地震!?


揺れが半端じゃなく悲鳴もあがりましたが、
研修をおこなっていたのが41階ということもあり、
揺れるものの新しいビルだから大丈夫だろうと
比較的冷静に揺れがおさまるのを待っていました。


なかなかおさまらない地震のなか
誰かが
震源地は宮城県!」
と叫びました。


一気に全身の血の気がひいていきました。
更に
宮城県震度7!」
という情報に
私含め東北のメンバーはパニック…


揺れる中で携帯電話で家族と連絡をとろうとするも
いっさい通じず…
ネットやツイッターのタイムリーな情報を見ながら
必死で携帯電話と格闘。


そんな中、頭のキレる先輩方は新幹線がとまることを予測し
あらゆる手段を駆使してレンタカーの手配に尽力していた模様。
間一髪でレンタカーを確保。


高速道路も封鎖されるであろう中、
上長は東京にホテルをとって待機しても良いと提案するも
家族が東北にいるメンバー全員が
「一秒でも早く家族のもとへ」
ということで
何十時間かかろうが車で仙台へ向かいたいと要望。


地震が落ち着いてから同ビルの中のコンビニへ行き
水やおにぎり・パン・充電器などを買い込み
41階から1階まで非常階段をひたすらひたすら降りる。


足が奇妙な間隔に襲われるも
今度はレンタカーがある店舗まで
30分かかる道のりを歩いて移動。
途中、全くタクシーが捕まりませんでした…


レンタカー屋さんも多少混乱している中
いつもより時間がかかりながらも手続きを済ませ
(今思えば、いつどこで車を乗り捨てるかわからない状態だったからですね)
いよいよ仙台へ向けて出発。


メンバーが各自別れて車に乗り込む際に
「またね」
「気をつけてね」
「何かあったら連絡し合おう」
「向こうでまた会おう」
などなど、会話を交わし、
これが最後の別れという訳ではないのに
複雑な気持ちで
でも確かな希望を持って
再会を約束して各チーム出発しました。



まずは東京出発まで…


ちなみに私は現在山形の実家で自宅待機中です。